僕の演説は僕の分身
演説だけうまくはできません。
ある時、そう気づきました。
演説はやってきた私の仕事そのものだし、もっと言えば人間性や生き方含めて私そのもの、分身なんだと気づいたんです。
普段いい加減な仕事をしてて、演説だけカッコよくはできないんですね。役者じゃないから。
大きな声でやっても伝わりはしません。
ひと言ひと言の言葉の重みは、その言葉の裏にある深く重たい経験からしか生まれないんですね。
重々しくしゃべっても、決して重い言葉にはなりません。
いただいた仕事のチャンスにどこまで没頭できるか。逃げたりかわしたりしてたら、いつまでたっても軽いままです。
12年の議員生活。25年の役人生活。ずーっと同じ姿勢、同じ気持ちでやってきました。
苦労は買ってでもせよ、は若いうちだけのはずだけど、ずーっと同じですね。こんな幸せなことはありません。
今週も頑張るぞー。
